2016年2月20日土曜日

ゲーテと複式簿記【誤解編】

▶︎プロローグ

 ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』ですが、たまに、以下のような発言があります。

 ところが最近、TL上でこのような御発言を見かけました。





 そういえば、私(監査たんも未読だと気付き、帰りに本屋に寄って購入いたしました。本日は、そのまとめです。

若い頃のゲーテ

▶︎場面

 「複式簿記が商人にあたえてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が産んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ 。」の発言が登場するのは、第1巻の10章(上巻)です。この本が、全巻から構成されることを考えると、かなり最初の方です。主人公ヴィルヘルムは、恋人マリアーネと暮らすことを夢見ています。彼は、役者業を得るため、父親を半分騙して、商用の旅に出ます。登場する場面は、彼の演劇を手伝う友人ヴェルナーと荷造りを行っている時です。

▶︎ヴェルナーの発言とヴィルヘルムの反論

 ヴィルヘルムが、昔の台本などを見てもたもたしているのを見て、ヴェルナーが声をかけます。

友人ヴェルナー:「そんなものは捨ててしまえよ。火にでも焚べるんだな。その着想なんて愚の骨頂だね。構成にしたって、もうあの頃から僕は嫌でたまらなかった。お父さんだって怒ってたじゃないか。詩の出来はいいかもしれないが、考え方がまるで間違っている。商売を擬人化した婆さん、しわくちゃの惨めったらしい占い女をまだ覚えいるよ。あの人物は、どこか薄汚い小商いの店から仕込んできたんだろう。あの頃君は、商売ってものがまるでわかっていなかったんだ。

 主人公のヴィルヘルムは、お父さんがしている商売に疑問を抱き、自分の演劇のネタにしていたのです。この演劇については別の記事に書く予定です。そして友人ヴェルナーは続けて以下のよう述べています。

友人ヴェルナー「真の商人の精神ほど広い精神、広くなくてはならない精神を、僕は他に知らないね。商売をやってゆくのに、広い視野を与えてくれるのは複式簿記による整理だ。整理されていればいるでも全体が見渡される。細しいことでまごまごする必要がなくなる。複式簿記が商人に与えてくれる利益は計り知れないほどだ。人間の精神が生んだ最高の発明の一つだね。立派な経営者は誰でも、経営に複式簿記を取り入れるべきなんだ。

 この友人ヴェルナーの複式簿記最高発言は、現代でも色々なところで引用されています。

 
 これに対して、主人公ヴィルヘルムは以下のように反論します。

 主人公ヴィルヘルム「君は、形式こそが要点だと言わんばかりに形式から話を始める。しかし君たちは、足し算だの、収支決算だのに目を奪われて、肝心要の人生の総決算をどうやら忘れているようだね」

▶︎誤解

 ゲーテが複式簿記を「人間の精神が生んだ最高の発明の一つ」とは言ってないですね(笑)しかし、友人ヴェルナーの発言から当時、商人にとって複式簿記は高い評価を得ていたことがわかりました

注;ゲーテが複式簿記を「人間の精神が生んだ最高の発明の一つ」と評価していたかはともかくとして、過去の会計文献にこれを引用してたのなら、勘違いしても仕方ないですよね。

ヴィルヘルム・マイスターの修業時代


最後までお読みいただきありがとうございました。

2016年2月16日火曜日

会計の語源【新発見⁉︎】

 監査たんの研究室にようこそ。本日は、(英語の意味でのaccountingではなく、)訳語の「会計」について、コラムを書きました。

1. wikipediaから


 訳語の「会計」がどのように生まれたかについて、今のところ(私の中では)定かではないのですが、wikipediaでこのような記述を見つけました。

”会計”(旧字体で”會計”)という単語が歴史上初めて表れたのは『史記』「夏本紀」である。元々旧字体の”會”は”曾”が変化した字で「増大する」といった意味合いを持つ字である。”計”は元々「言を正確にする」という意味があり、「計は会なり」という意味合いで会計という単語が出来たとされる。

2. 調査範囲


 この真偽を確かめるために、「夏本紀」を調査します。そもそも、司馬遷の「史記」とは、中国前漢武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。これは、「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢武帝までです(wikipedia)。

司馬遷 

3. 原典調査


 この中の本紀のうちの「夏本紀」は、の原文を調べると以下の記述がありました。

夏本紀

太史公曰:禹為姒姓,其後分封,用國為姓,故有夏后氏、有扈氏、有男氏、斟尋氏、彤城氏、褒氏、費氏、杞氏、繒氏、辛氏、冥氏、斟(氏)戈氏。孔子正夏時,學者多傳夏小正云。自虞、夏時,貢賦備矣。或言禹會諸侯江南,計功而崩,因葬焉,命曰會稽。會稽者,會計也。


 この部分の日本語訳を示します。
太史公言う。禹は姒姓であるが、その子孫は分封せられ、国名を姓としたので、夏后氏・有扈氏・有男氏・斟尋氏・彫城氏・褒氏・費氏・杞氏・繒氏・辛氏・冥氏・斟氏・戈氏がある。孔子は夏の暦を正しいとしたので、学者は多く夏小正を伝えるのだという。虞・夏の時代から貢賦の制が整った。ある人は、禹が諸侯を江南に会し、諸侯の功を計って崩じたので、そこに葬り地名を会稽と名づけた。会稽は会計で、諸侯の功を計ったからだという。

4. 結論

 これが本当だとすれば、wikipediaの説の前段「”会計”(旧字体で”會計”)という単語が歴史上初めて表れたのは『史記』「夏本紀」である。」は、正しいですが、後段「元々旧字体の”會”は”曾”が変化した字で「増大する」といった意味合いを持つ字である。”計”は元々「言を正確にする」という意味があり、「計は会なり」という意味合いで会計という単語が出来たとされる。」は、正しくないことになります。

 つまり、會計(会計)の由来は、夏王朝の創始者であるが、江南で諸侯の論功を労って、分配した(計った)ことにあったのです!!

 これは、新発見かもですね 笑。これから、他の文献を見て確認したいと思います。

2016年2月15日月曜日

訳語問題「会計学か統計学か」

 ようこそ、監査たんの研究室へ。本日は、明治期の統計学(statistics)の翻訳を通じて、会計学(accounting)について、考えてみませんか。今日利用する資料は、法学徒の方には有名な穂積陳重「法窓夜話」です(リンクは、青空文庫。漫画もあります↓)。


 穂積陳重は、日本初の法学者の一人で、現行民法典を作った一人です(めちゃめちゃ偉い人)。彼が書いた「法窓夜話」は、現在でも面白く読めます。

穂積陳重


それっぽい画像

 「法窓夜話」では、57話「統計学」には、スタチスチックス(statistics)の訳名が「統計学」と定まるまでの沿革が紹介してあります。

 ”始め慶応三年四月に出版せられた神田孝平氏訳「経済小学」の序には、スタチスチックスを訳して「会計学」としてあるが、明治三年二月発布の「大学規則」には「国勢学」とある。これは、欧洲において中世より第十八世紀の始めに至るまでは、この語原の示す如く、国家の状態を研究する学問となっていたとのことであるから、その後の沿革を知らずに、二百年前の用例をそのままに「国勢学」と邦訳したのであろう。同年十月の大学南校規則にも「国務学」となっている。世良太一君の直話に拠れば、国勢学を一時「知国学」ともいうたことがあるが、これは多分杉亨二こうじ先生の案出であろうとのことである。津田真道先生がオランダのシモン・ヒッセリングの著書を訳して明治七年十月に太政官の政表課から出版せられたものに「表紀提綱一名政表学論」というのがある。「西周伝」に拠れば、津田先生は学名としては「綜紀学」という語を用いられたようである。世良太一君の話に拠ると、「政表」という語は、この後明治十年頃までも用いられたということである。”

 なんと、最初は「会計学」がstatisticsの訳名だったんですね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ ちなみに、経済小学はリンクから閲覧できます。その他にも「国勢学、「国務学」、「知国学」、「綜紀学」、「政表」などたくさんの訳があったんです。じゃあ、会計学はNGだったんですかね。


 ”かくの如く「スタチスチックス」に対する訳字が従来区々であったので、むしろ原語そのままを用いた方が好かろうということで、明治九年頃、杉亨二博士・世良太一氏らの創められた学会には、「スタチスチックス」社という名称を附し、「スタチスチックス」雑誌というのを発刊せられたが、当時「スタチスチックス」という原語に宛てるために「××」という漢字をも案出創造せられたということである。また始め神田氏の用いられた「会計学」という名称も、その字義からいえば至極穏当のようではあるが、「会計」は他の意義に用いられているから、「統計学」の方が適当であろう。しからばこの「統計学」という名称の創始者はそもそも何人であろうか。”

 残念、会計学はもう「accounting」がとっていました( ´ ▽ ` )ノ(笑)。また、法窓夜話」には、どのようにstatisticsの訳が統計学になったのか、についても記載があります。

 ”明治四年七月二十七日大蔵省の中に始めて置かれた役所に統計司というのがある。これは翌八月十日に至って統計寮と改められたが、官署の名に「統計」の名を附したのはこれが初めてである。この「統計」の二字は、恐らくは「英華字典」にスタチスチックに対して「統紀」という訳字を用いておったのに拠って案出したものであろう。この後ち明治七年六月になって、箕作麟祥博士が仏人モロー・ド・ジョンネの著書を翻訳して文部省から出版せられたものには「統計学一名国勢略論」という標題を用いられた。学名として「統計学」という各称を用いたのは、けだしこの書をもって初めとなすべきである。そして前にも述べた如く、この後にも「国勢学」「知国学」「政表学」または「表紀」××」などの名称が存在したにもかかわらず、後には「統計学」という名称が一般に行われて、終に学名と定まるに至ったのである。”

 最近は、実証研究が強くて統計勢に押されている(?)会計学ですが、こんな逸話があったのですね。みなさんも是非、法窓夜話読んで、会計学のアイデンティティを再認識してくださいね(冗談です)。




2016年2月14日日曜日

【NHK高校講座から始める】簿記の世界史【第1回;古代オリエント・ギリシャ編】

プロローグ

 もっぱら、ビジネスでしか使われない(ビジネスでも使われない?w)簿記ですが、簿記の歴史(会計史)も勉強してみませんか。高校生の皆様(簿記未経験の方)は、簿記や監査を歴史から学んでみませんか。きっと、新しい発見がありますよ。
 第1回は、会計の歴史「古代オリエント・ギリシャ編」です。最近、ホットな古代ギリシャですが、簿記や監査から見ても楽しいですよ。

アリストテレス

 ー教材


 教材は、①NHK高校講座(2015年度)世界史の第2回「オリエントとギリシア」と、②ジェイコブソール「簿記の世界史」第1章を使用します。本ブログを読む前に、NHK簿記講座の方をご覧下さい(下記リンク参照)


 ーブログの内容

 
1章 古代文字と簿記
2章 フェニキア人の商業貿易
3章 古代アテナイの簿記と監査

1章 古代文字と簿記

 NHK高校講座では、メソポタミアでは楔形文字、エジプトでヒエログリフが、フェニキア人にアルファベットが開発され、それがギリシャにも受容されたことを学びました。ただし実際には一般の人間が利用していた訳ではなく、主に神官や商業貿易・会計記録に用いられていたそうです。

メソポタミアの楔形文字
エジプトのヒエログリフ

フェニキア文字
フェニキア文字以降











 例えば、世界で2番目に古い法典であるハムラビ法典(紀元前1792年から1750年)は楔型文字で記載されていますが、実は基本的な会計原則や取引の監査の規則も定めているそうです(ルーブル美術館に実物があります)。例えば、105条には、以下の記述があります。

”現金を受けた時にその場で確認して領収書に署名をしなかった場合に、帳簿にその記録を記載してはならない。”

 リアルですねw その他、初期の単式簿記は、①古代メソポタミア、②イスラエル、③エジプト、④中国、⑤ギリシャ、ローマで行われていることが確認されています(ジェイコブ・ソール(2015), pp. 22-23)。文字ができて、初めて簿記が可能となったわけです

「ソクラテスの逆説」は、省略。

2章 フェニキア人の商業貿易


 フェニキア人は、エジプトバビロニアなどの古代国家の狭間にあたる地域に居住していたことから、次第にその影響を受けて文明化し、紀元前15世紀頃から都市国家を形成し始めた。紀元前12世紀頃から盛んな海上交易を行って北アフリカからイベリア半島まで進出、地中海全域を舞台に活躍しましたwikipedia)。
 エジプトのヒエログリフをフェニキア人は改良し、大幅に省略して発展させました(上記TL参照)。フェニキア文字について、金岡新さんのサイトには以下の記述があります。
”かれらの文字、フェニキア文字は、ギリシアからヨーロッパに伝えられアルファベットとなります。商人たちが帳簿を付けるためにつくられた文字だったので書きやすく読みやすい。一般の民衆に開かれた文字ですね。エジプトの神聖文字などは、神官、書記など支配者だけに独占された文字です。だから、伝えるものが途絶えると読めなくなってしまったです。そこがフェニキア文字との違いです。”
 このように、商業貿易を盛んに行なっていたフェニキア人にとって、簿記は欠かせないものだったようです(詳細は、スタンプメイツでも)。

フェニキア人の商業ルート

3章 古代アテナイの簿記

 古代アテナイでは、民主制を掲げていたので会計責任を果たす仕組みが整っていました。寡頭制では一握りの権力者が支配し誰も責任を負わなかったのです。すなわち、面倒な簿記と公的監査が民主的統治を支える柱とみなされてきたのです。この会計責任を負っていた役職は以下の通りです(ジェイコブ・ソール(2015), pp. 23-24)。

  • 国庫の監督官;アテネの国庫は神聖なものとして扱われ、デロス島に保管されて監督官が厳重に監視した。
  • 公的機関の会計を監督する高級官僚、監査官;官僚が作成した会計報告は、民主政治の原則に則り、漏れなく監査の対象となっていた。
  • 帳簿係・監査官;基本的に奴隷が担当。怪しまれたら拷問されていた。

 以下では、ジェイコブ・ソール(2015)でも紹介されていた3人の古代ギリシャ人の「簿記・監査」に関する記述を紹介します(twitterもw)。

 ーアリストテレス


 アリストテレスは、 言わずと知れた「万学の祖」なのですが、政界たんがTLで明言を紹介していました。

 彼の「アテナイ人の国制」に監査官に関する記述があります。これによれば、監査官が官僚や裁判官の会計報告を監査しており、不正疑惑が持ち上がった場合、事情聴取を行う前にまずは問題の人物の帳簿を公的に監査する仕組みでした。

 ーアリステイデス 


 マラトンの戦いでのギリシャ側の将軍。彼についてこんなツイートが、、、 
 彼は、監査について
あまり厳しい監査するのもどうなん??”
とこぼしており、不正はある程度までやむを得ないとされ、むしろ厳格な監査はいたずらに平穏を乱すと見なされた。現代でもあるあるな主張ですねw

 ーポリュビオス


 ポリュビオスは、ギリシャの 歴史家です。

 彼も、アリステイデスの主張と似たことを主張しています。
”国家が監査官を10人雇って公的監査を徹底したところで人間が正直になるわけではない。頭のいい人間は必ず帳簿を操作する。”

 これも現代でもあるあるですねw 結局、厳しい監査がいいのか、悪いのか。。。

エピローグ


 まとめると、、、

  • 簿記は、文字と大きく関係しいていた。
  • 商業貿易が盛んであったフェニキアでは、盛んに帳簿記録が行われていた。
  • アテナイでは、簿記と監査は民主制を支える仕組みであった(ちょっといい加減)。

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