1. wikipediaから
訳語の「会計」がどのように生まれたかについて、今のところ(私の中では)定かではないのですが、wikipediaでこのような記述を見つけました。
”会計”(旧字体で”會計”)という単語が歴史上初めて表れたのは『史記』「夏本紀」である。元々旧字体の”會”は”曾”が変化した字で「増大する」といった意味合いを持つ字である。”計”は元々「言を正確にする」という意味があり、「計は会なり」という意味合いで会計という単語が出来たとされる。
2. 調査範囲
この真偽を確かめるために、「夏本紀」を調査します。そもそも、司馬遷の「史記」とは、中国前漢の武帝の時代に司馬遷によって編纂された中国の歴史書です。これは、「本紀」12巻、「表」10巻、「書」8巻、「世家」30巻、「列伝」70巻から成る紀伝体の歴史書で、叙述範囲は伝説上の五帝の一人黄帝から前漢の武帝までです(wikipedia)。
![]() |
司馬遷 |
3. 原典調査
この中の本紀のうちの「夏本紀」は、の原文を調べると以下の記述がありました。
夏本紀
太史公曰:禹為姒姓,其後分封,用國為姓,故有夏后氏、有扈氏、有男氏、斟尋氏、彤城氏、褒氏、費氏、杞氏、繒氏、辛氏、冥氏、斟(氏)戈氏。孔子正夏時,學者多傳夏小正云。自虞、夏時,貢賦備矣。或言禹會諸侯江南,計功而崩,因葬焉,命曰會稽。會稽者,會計也。
この部分の日本語訳を示します。
太史公言う。禹は姒姓であるが、その子孫は分封せられ、国名を姓としたので、夏后氏・有扈氏・有男氏・斟尋氏・彫城氏・褒氏・費氏・杞氏・繒氏・辛氏・冥氏・斟氏・戈氏がある。孔子は夏の暦を正しいとしたので、学者は多く夏小正を伝えるのだという。虞・夏の時代から貢賦の制が整った。ある人は、禹が諸侯を江南に会し、諸侯の功を計って崩じたので、そこに葬り地名を会稽と名づけた。会稽は会計で、諸侯の功を計ったからだという。
松尾さんのHPより
4. 結論
これが本当だとすれば、wikipediaの説の前段「”会計”(旧字体で”會計”)という単語が歴史上初めて表れたのは『史記』「夏本紀」である。」は、正しいですが、後段「元々旧字体の”會”は”曾”が変化した字で「増大する」といった意味合いを持つ字である。”計”は元々「言を正確にする」という意味があり、「計は会なり」という意味合いで会計という単語が出来たとされる。」は、正しくないことになります。
つまり、會計(会計)の由来は、夏王朝の創始者である禹が、江南で諸侯の論功を労って、分配した(計った)ことにあったのです!!
これは、新発見かもですね 笑。これから、他の文献を見て確認したいと思います。
0 件のコメント:
コメントを投稿