2016年2月15日月曜日

訳語問題「会計学か統計学か」

 ようこそ、監査たんの研究室へ。本日は、明治期の統計学(statistics)の翻訳を通じて、会計学(accounting)について、考えてみませんか。今日利用する資料は、法学徒の方には有名な穂積陳重「法窓夜話」です(リンクは、青空文庫。漫画もあります↓)。


 穂積陳重は、日本初の法学者の一人で、現行民法典を作った一人です(めちゃめちゃ偉い人)。彼が書いた「法窓夜話」は、現在でも面白く読めます。

穂積陳重


それっぽい画像

 「法窓夜話」では、57話「統計学」には、スタチスチックス(statistics)の訳名が「統計学」と定まるまでの沿革が紹介してあります。

 ”始め慶応三年四月に出版せられた神田孝平氏訳「経済小学」の序には、スタチスチックスを訳して「会計学」としてあるが、明治三年二月発布の「大学規則」には「国勢学」とある。これは、欧洲において中世より第十八世紀の始めに至るまでは、この語原の示す如く、国家の状態を研究する学問となっていたとのことであるから、その後の沿革を知らずに、二百年前の用例をそのままに「国勢学」と邦訳したのであろう。同年十月の大学南校規則にも「国務学」となっている。世良太一君の直話に拠れば、国勢学を一時「知国学」ともいうたことがあるが、これは多分杉亨二こうじ先生の案出であろうとのことである。津田真道先生がオランダのシモン・ヒッセリングの著書を訳して明治七年十月に太政官の政表課から出版せられたものに「表紀提綱一名政表学論」というのがある。「西周伝」に拠れば、津田先生は学名としては「綜紀学」という語を用いられたようである。世良太一君の話に拠ると、「政表」という語は、この後明治十年頃までも用いられたということである。”

 なんと、最初は「会計学」がstatisticsの訳名だったんですね☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆ ちなみに、経済小学はリンクから閲覧できます。その他にも「国勢学、「国務学」、「知国学」、「綜紀学」、「政表」などたくさんの訳があったんです。じゃあ、会計学はNGだったんですかね。


 ”かくの如く「スタチスチックス」に対する訳字が従来区々であったので、むしろ原語そのままを用いた方が好かろうということで、明治九年頃、杉亨二博士・世良太一氏らの創められた学会には、「スタチスチックス」社という名称を附し、「スタチスチックス」雑誌というのを発刊せられたが、当時「スタチスチックス」という原語に宛てるために「××」という漢字をも案出創造せられたということである。また始め神田氏の用いられた「会計学」という名称も、その字義からいえば至極穏当のようではあるが、「会計」は他の意義に用いられているから、「統計学」の方が適当であろう。しからばこの「統計学」という名称の創始者はそもそも何人であろうか。”

 残念、会計学はもう「accounting」がとっていました( ´ ▽ ` )ノ(笑)。また、法窓夜話」には、どのようにstatisticsの訳が統計学になったのか、についても記載があります。

 ”明治四年七月二十七日大蔵省の中に始めて置かれた役所に統計司というのがある。これは翌八月十日に至って統計寮と改められたが、官署の名に「統計」の名を附したのはこれが初めてである。この「統計」の二字は、恐らくは「英華字典」にスタチスチックに対して「統紀」という訳字を用いておったのに拠って案出したものであろう。この後ち明治七年六月になって、箕作麟祥博士が仏人モロー・ド・ジョンネの著書を翻訳して文部省から出版せられたものには「統計学一名国勢略論」という標題を用いられた。学名として「統計学」という各称を用いたのは、けだしこの書をもって初めとなすべきである。そして前にも述べた如く、この後にも「国勢学」「知国学」「政表学」または「表紀」××」などの名称が存在したにもかかわらず、後には「統計学」という名称が一般に行われて、終に学名と定まるに至ったのである。”

 最近は、実証研究が強くて統計勢に押されている(?)会計学ですが、こんな逸話があったのですね。みなさんも是非、法窓夜話読んで、会計学のアイデンティティを再認識してくださいね(冗談です)。




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